く ら し の 祭 り
心とつながる、
季節とつながる
暮らしのまつり
六月|夏越の大祓い(茅輪くぐり)
一年の前半を「茅の輪」をくぐって清めます
後半の熊本の暑い夏も健康に過ごせますように
「茅の輪(ちのわ)くぐり」は一年の半分となる6月晦日(30日)に行われる、半年に一度の神事に由来する行事です。半年分の穢れ(けがれ)を落とし、後の半年の健康と厄除けを祈願します。起源は日本神話の時代にさかのぼるといわれ、かつては旧暦に行われていましたが、新暦になった現代でも受け継がれています。
6月と12月、半年の節目に行われるお祓いは「夏越の大祓」とも呼ばれます。藤崎八旛宮では「大祓式(茅輪神事)」として神事を行い多くの人が参拝に訪れ、境内の茅の輪をくぐって、残り半年の健康を祈ります。
「茅の輪くぐり」の茅の輪とは、チガヤという草で編んだ輪のこと。境内に大きな「茅の輪」を作り、くぐり抜けることで病気や災いを免れることができると昔から伝承されています。「茅の輪くぐり」が終わると熊本は梅雨から暑い夏へと季節が変わり、田圃には青々とした稲が育っていきます。
藤崎八旛宮の夏の「大祓式」では、お祓いやご祈祷のときに、お祓いを受ける人の身代わりとなる和紙の人形(ひとがたが)を使います。場内で家庭に持ち帰って飾れる小さな茅の輪もお配りしています。気軽に参加して日本の清々しい伝統行事に触れてみてください。
九月|まちに暮らす人の祭り 例大祭
祭りの熱気が街を駆け抜けると、
熊本の遅い秋はもうすぐ
毎年9月に開催される藤崎八旛宮例大祭(ふじさきはちまんぐうれいたいさい)は、熊本を代表する祭りとして知られていますが、歴史は古く、千年以上前から続いてきた氏子(うじこ:土地を守る神様の近くに居住する人々)地区で行われた生命を慈しむ放生会が原型です。
神事を経て神様を乗せた神輿が、御旅所(おたびしょ)と呼ばれる場所まで行列していく御神幸(ごしんこう)が最も重要ですが、その御神幸に兵が付きそうことを随兵(ずいびょう)といいます。加藤清正はその随兵を、慶長の役から無事帰国した感謝として自らが先導したと伝えられています。この随兵の最後尾で、奉納される飾り馬を追いながら鳴り物入りで賑やかに練り歩くのが、勢子(せこ)です。
藤崎八旛宮に由来する地区をはじめ、熊本市に住む多くの人が例大祭を毎年心待ちにしています。例大祭は神事であると同時に、長い歴史を経て、熊本のまちに暮らす人々の祭りとしても育まれてきました。
例大祭は明治初期の西南戦争で社殿や城下町が焼失するまでは、藤崎八旛宮が元あった場所(現在の藤崎台球場)からすぐその下の井芹川沿いの御旅所までの短い距離の御神幸でした。氏子の多くは城下町に住み、大人も子供も御神幸を支えてきました。例大祭の名物とも言える新町の伝統的な獅子舞「新町獅子」も、かつての藤崎台時代の例大祭に由来すると伝えられています。
現在、御神幸行列は藤崎八旛宮から都心部を経て、古町や新町のあるかつての城下町を道筋として朝と夕方に往復して周ります。そのお道筋では昔ながらの氏子による祭りを偲ばせる、まちに暮らす人の祭りとしての光景を見ることができます。
祭りの熱気が街を駆け抜けると、熊本の遅い秋が静かに深まっていきます。
古の暦に
暮らしを重ね
季節を感じてみる
一月|若菜粥
ご馳走ではない七種の蔬菜の若菜が
ご馳走に疲れたからだを整える
|君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ| 光孝天皇『古今集』
古から日本人には新春の野の若菜には香りと精気が強く、その力をいただくことで一年を健やかに過ごすという感性がありました。若菜はご馳走ではない野菜「蔬菜(そさい)」でもあり、七草粥はその蔬菜の若菜「芹(せり)」「薺(なずな)」「御形(ごぎょう)」「繁縷(はこべら)」「仏の座、菘(すずな)」「蘿蔔(すずしろ」を使って塩だけでシンプルに味付けしたお粥のこと。
お正月のご馳走に疲れた胃とからだを蔬菜たちが、じんわり癒やす。理にかなった食事でありながら、春を待つ心をみんなで共有できる日本の伝統食文化です。
若菜献供祭・宮比祭神饌
二月|節分と星祭
冬から春への季節の節目を祝い、
旧暦の年明けとして、星に平和な世を願う
節分には「季節を分ける」という意味があります。元々、立春・立夏・立秋・立冬の前日を『節分』と呼んでいましたが、今は、冬から春に変わる季節の区切りとして、2月4日頃の立春の前日を節分と言うようになりました。
星祭(ほしまつり)は正月に続いて、もう一つの年明け(旧暦)を祝い災いを祓う祭儀です。藤崎八旛宮では、毎年、一般の方々と共に、節分と星祭を合わせた「節分星祭(せつぶんほしまつり)」を行なっております。参加した人は数量限定で福豆をもらうことができます。
節分星祭